ヴォルフガング・パウリ
ヴォルフガング・パウリはウィーン生まれの物理学者で、1922年には「量子力学」で有名なボーアの研究所で彼を手伝いながら、原子スペクトルの研究をしていた。
ボーアの元を離れた後も書簡などを通じて議論を行い、量子力学の発展に大いなる貢献をした。
10代で既に、数学も物理もかなりのレベルに達しており、その明晰な頭脳をアインシュタインも絶賛している。
物理学界においては、ずけずけと辛辣な批判を行うことで恐れられてもいた。
妥協なく真理に向き合う姿勢から 「科学の良心」 「至高の審判」と呼ばれることもあった。
パウリは議論の際、頻繁に「バカたれ!(Dummkropf)」と相手をけなしたらしく、それぐらい熱心に議論に応じてくれたのだとして 「パウリにけなされた研究は有望である」というジョークが生まれたほどである。
パウリに関するジョークはたくさんあり、辛辣ながら仲間内で慕われていた様子がうかがえる。
パウリはたくさんの重要な仕事をしているが、ノーベル物理学賞の対象となったのは25歳の時の「排他原理」の発見だ。
「2個以上の電子は、同一の量子状態をとることができない」という原理だ。
電子が椅子取りゲームをしているようなイメージだ。
ひとつの椅子に電子が座ったら、他の電子はその椅子には座る事ができない。
しかし、これが光だったら違う。
光子は、同じ椅子に何人でも座ることができるのだ。
実体がなくて透き通る感じである。
物質を物質たらしめている。そして、私たちが握手をしたり抱き合ったりできるのは「排他原理」に従う素粒子でできているからなのだ。
ともすれば当たり前のように感じる話だか、量子力学という根本的なレベルでの原理がこうして世界をつくっている、と実感するような話しだ。
パウリは、天才的な頭脳とそれゆえの辛辣さを持ちながら、エピソードからはお茶目な一面も伝わってくる。
物理学には理論と実験があるわけだが、往々にして天才理論物理学者は実験が下手だ(もちろん例外もいるが)。
パウリはその最たる例で、よく実験装置を壊していた。
いつしか、パウリが通り過ぎるだけで、そこで行われている実験はダメになる、という伝説が生まれ、「パウリ効果」と名づけられた。
パウリの実験家の友人たちは、パウリ効果を恐れて、パウリに相談したい時には、研究室のドアを閉めてドア越しに話しをしたとの逸話もある。
そんなパウリだが、彼は、「ニュートリノ」という素粒子の存在を予言したことでも有名だ。
1930年当時、ベータ崩壊と呼ばれる反応において、エネルギー保存則が成り立たないことが問題となっていた。
ボーアが、ミクロな世界ではエネルギー保存則が破れる事もあり得るのではないか、と考えたのに対し、観測にかかった試しのないエネルギー保存則の破れを簡単に受け入れるわけにはいかない、と考え、「未知の素粒子がエネルギーを持ち去っている」という仮説を立てたのだ。
あまりに大胆な仮説なので、パウリは論文にはせず、ドイツの物理学会への手紙に書き記した。
「親愛なる放射性紳士淑女の皆さん」という出だしで始まる手紙は、とても秀逸だ(ベータ崩壊は放射性崩壊であり、放射性の研究者たちに宛てた手紙なのだ)。
未知の素粒子についての自説を述べた後、自分はチューリッヒでダンスパーティに出席するため学会には参加できない、という結びで終わる。
その後、1956年に未知の素粒子は発見され、「ニュートリノ」と名づけられた。
パウリの手紙から26年後の事だ。
発見者のフレデリック・ライネスとクライデ・コーヴァンは「このニュースをあなたにお伝えできるのを大変嬉しく思います」とパウリに電報を打った。
パウリは 「メッセージをありがとう。 どのように待つべきかを知る者には、 何でもやって来ます」と応じた。
科学の進歩は一朝一夕にはいかない。
胆力をもって挑む人々のおかげで成り立っているのだ。
Dummkropf!